何とか間に合った通夜、やはり親交の深かったお坊さんが
お経をあげてくださるのはものすごく良いですね。
羨ましかったです。
逝った当日、葬儀屋が来てどんな形式にするかとか色々相談するのですが
ものすごい足元見られますね。
地元の会館がいくつかある中で、今までに見てきていて一番心のこもった式を
するところだと思っていたのですが、この日来た営業マンは
気に入りませんでした。横柄ったらありゃしない
こんなときに高すぎるだの何だの言うのは憚られますが
あの嫌な感じなオッサンには絶対負けたくなかった(笑)。
叔父が参加してかなり頑張って騙されないようにしてくれ、
かなり気弱になってた父もちゃんと冷静になれたようでした。
私も横でニラミを利かして(あのオッサンには何でもなかったでしょうが)
騙されそうになったら言うぞ!態勢をしてました。
でもそれ以外は横柄オッサンは現れず、やっぱり良い感じの2日間でした。ホッ。
この日会館に泊まることまで全然気が回っていなかったのですが
父と私で残ることになりました。
ピアノを弾いたこと、最後の晩を一緒に過ごしたこと、
これで私はもう満足しました。思い残すことはござらん
部屋は窓がなく(当たり前ですかね)、広いけれど圧迫感があり
暖房で乾燥していて鼻は詰まるし、とても苦しくてやっぱり寝られませんでした。
翌朝一応身支度などが済んだころ、叔父が来て休憩して来いと替わってくれました。
頭から首、肩が硬くなっていたのが朝の冷たい空気でスッと取れました。
スタバでコーヒー飲んで一服。
葬式でお棺にお花を入れたら、もう顔は見られないんですね。
斎場に行きましたら何もかも新しくてキレイでビックリしました。
2年ほど前に建て直したそうで、何だかトクした気分でした。
荼毘にふすって、あのバーナーの音が凄すぎて辛いですね、いかにも熱そうで…
でも祖母、軽~く明るく「ほな、最後の仕事行ってくるわ!」って
私に言った気がしました。
1時間半くらい後、きれいにお骨になって戻ってきました。
私、斎場に来たのもお骨拾いするのも初めてでした。
辛いな…と思ってたのですが、祖母は意外にも
「やれやれ終わった終わった!」って楽しげに言って出てきました
(私の同時通訳は間違ってるかも、ですよ)。
係の方が説明しながら大事な骨をまず入れられますね。
そのとき、ノド仏の骨が完全な形で残るのは40人に1人くらいだと
おっしゃってました。
後から叔母やいとこたちに、もしかしてよくしゃべった人が残るんか?と言ったら
「お経読んでたからやろ!」とツッこまれました(爆)。
はい、不謹慎でした
たまたまお骨拾いの部屋から出るとき最後だったため
遺影を持つことになり、そのまま家に帰り初七日をしました。
そしてやっと皆でお食事してもらい、何やかやと寂しく楽しく時は過ぎお開きとなりました。
叔父叔母が両親をねぎらってくれたこと、とても嬉しくて
これから仲良くしていけたらな…それは祖母の願いでしょうけれど。
しずかになったのは9時ごろでしたでしょうか。
祖母も交えてお茶をしました。
この日はやっと、よく眠れました。
うちのじい様は「こんな立派な骨は見たことない」と言われてました。確かに重くて、一度落としました。ノド仏は記憶にありませんが、どうだったんだろう。やっぱり長生きする人は丈夫なんだなあと思ったことは覚えています。
昔は、葬儀の支払いなどは、身内ではなく地域の顔役のような方が目を光らせて代行し、タダでさえ精神的にも肉体的にも疲弊している遺族に、金銭面の負担を多くかけないように・・と配慮があったそうですが、いまの世の中じゃ、そうもいかないのでしょうね・・。
横柄な葬式店のオッサン・・と聞くだけで、何気にムカつきます(--)
でも、ホントに計画的だったかとどうかはわからないけど、絶妙のタイミングで旅立たれたのでしょうね・・。お年を召して、殆ど思い残すこともなく、多くの方に惜しまれて旅立つことが出来る・・というのは、ホントに幸せな人生なのかもしれません。
お骨拾い・・私も初めてやる前は、凄く悲しい気分になるのかも?と思ってたのですが、意外なほどに、ほっとしたような気分になったのを覚えています。
お疲れでませんように、しばらくはゆっくりしてくださいね。
みぞっちさま
昔の方はよく歩いてらっしゃるし、よく働いてらっしゃって
良い骨なんでしょうね。
それにしても、骨になってから批評されるのってどうよ?!
って何だが笑えました(不謹慎ですね)。
YOSHIE♪さま
そうですね、うちも町内では古いので、だれそれのお葬式を
手伝いに行った、と言う話はよく聞いてました。
今でも市の葬儀を頼めば、そうなるのかもしれません。
そんなののほうが良かったのかな~。
でも身内だけでこじんまり、という希望なら
これでよかったのかな。
迷うのは人生しかり、最期もしかり、ですね。