自分のことではありません(笑)。
ご近所の“Kさんのおっちゃん”が昨日亡くなり、店を閉めてから
遅刻してではありましたが、お通夜に行って来ました。
84歳だったそうです。
去年の秋、祖母1号が逝った時もおっちゃんは2階の仏間まで普通に上がってくれたし
その前後に確か店にも来てくださったようにも思う。
なので私たちはおっちゃんが元気なつもりでいたから、訃報を聞いてとっても驚きました。
生まれてこの方、ココ(店のあたり)にしか住んだことのない私。
当然、ただの近所のオッチャンであろうがオバチャンであろうが
それなりに思い出って出来ているものです。
Kさんのおっちゃんは祖母1号とも親しかったので
「(祖母1号のことを)ねーちゃん、ねーちゃんて呼んでてんで。」と
よくおっしゃってました。
私が子供のころは、ちょっとおつかいにKさんとこへ行くのが楽しみ。
なんでかって?
戸棚からチョコボールやキャラメルを出してきて下さるんです(笑)。
学生時代、市役所の選挙管理委員会で選挙のたびにバイトしていたのですが
おっちゃんは選挙当日、投票箱の向こうで見張ってる「立会人」をいつもされていて、
仕事が終わったら一緒に帰ったり(笑)、
その辺の道端で会ったら「おばあちゃん元気か~」って必ず聞いてくれる、
昔ながらの「近所のおっちゃん」であった…。
店を始めてからは、時々いらしてくださって濃い目の紅茶を飲みながら昔話を。
祖母1号がヨメに来る前からウチのことをご存知だったので
「(ウチの)家を建ててるとこを、子どものころにずっと見てた」とか
「ここ(ウチ)のおじいさんがどんな人だった」とかいろいろと話してくれたものです。
おっちゃんが亡くなったことで、何だか自分の子供時代が段々遠くなる感じもしますし
(今でも充分遠いって…笑)
町の顔みたいなおっちゃんがおられなくなるのはやっぱり寂しいですね。
お通夜に参列しながら、そういえば店を始める時ご挨拶にこのお家の玄関に来たな~と
ぼんやり思い出していました。
お町内の何軒かに挨拶に行ったけれど、代々ずっとココに住んでいる
地元人であるからか、みなさんすんなり受け入れてくださって
Kさんのおっちゃんも「がんばりや~」って言ってくださったのが
昨日のことのようです。
そしてそのとき、おっちゃんが「うちにも遊びにおいで~な」と
おっしゃってたのを、ふと思い出した!
2年半以上も忘れてた…
おばあちゃんを連れて行ったら、昔話に花を咲かせて楽しんだでしょうね。
あ~残念なことした。
でもおっちゃんが天国に行かれた暁には、うちの1号、
「ひゃ~あんたエライ早よ来はって、どないしはったん」とか言うて
雲の上の町内会を開いてることでしょう(笑)。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
いわゆる近所の顔・・のようなお方だったのですね、まずは御冥福をお祈りいたします。
私も地元にしか住んだことがないので、たとえこっちが知らなくても、向こうは私や家族を良く知っている・・・ということもあり、全く知らんオッチャンやオバチャンから、大きなったなぁ~とか声をかけられることもありました、きっとそのおじいちゃんも、うーちゃんさんにとって、そんなふうな温かい、昔の香りの残る思い出深い方だったんでしょうね。
YOSHIE♪さま
そうそう、子どものころも知られてる(笑)。
私どころか、父の子供時代から知ってはるんだもんね。
だけどそんなおっちゃん、おばちゃんは知っていても、
そのご子息方とは顔こそ大体わかるものの
つながりは全くと言って良いほどないもんね~この古い町内でさえ。
どうなっていくのでしょうね~?
ワタシは一つところに住んだことがないので
こういうつながりを羨ましく思います
生まれ故郷は父の転勤先であったため
小学校高学年でこちらに越してきて以来
行く機会がありません
きっと先に逝かれたおばあさまと
お茶しながら 店主さまのこと、そして
ご近所の皆さまのことを
暖かく見守っていらっしゃるでしょうね
ご冥福をお祈りいたします
Shigeko♪さま
逆に私は転校生に憧れてました(笑)。
でも店をするようになって、子供のころから知られてる強みとか
地元の友達がお客様になってくれたり、それこそ卒業以来の再会が
あったりと、ずっと住んでいてこそのありがたみっていうのが
解るようになりましたね。それも歳のせいかな~なんて思ったりもします(笑)。